老舗メーカーからの縫製を100%受注 いち早くベトナム人研修生を受け入れ 中小企業の連携で縫製業界の未来を拓く【株式会社 竹嶋繊維】(上) 遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

代表取締役社長 竹嶋紀年

株式会社 竹嶋繊維
創業:1977 年
事業内容:縫製業
従業員数:33名
所在地:福岡県柳川市大和町皿垣開908-2
経営理念:縁尋機妙(仏教語で、縁が縁を呼んで幸福を招くの意)

大阪の老舗メーカー・福助に入社、独立して福助の外注縫製を100%受注

私は熊本県天草市で生まれ育ちました。中学を卒業し、大阪府立泉佐野工業高校の繊維科に入ります。繊維科がある高校は日本に2校しかなく、そのひとつでした。卒業して、堺市に本社があった足袋の老舗、福助株式会社に入りました。1963年、東京オリンピックの前の年でした。

福助は、労働力が豊富な九州の各地に縫製工場を持っていました。天草市や宮若市にも工場があり、柳川市の三橋町というところにも福助の工場を作ることになりました。そして、私に新工場の技術指導担当として赴任せよと社命が下ったのです。期間は3年間、その後は大阪に戻してやるという約束でした。3年が過ぎた時、私は大阪には帰らずに九州で働き続けたいと申し出ました。すると会社は、「ではあなた、独立したら」と認めてくれたのです。それで、福助から独立させてもらって、株式会社竹嶋繊維を創業しました。1977年、入社して14年、32歳でした。

大変幸運なことに、福助は外注の縫製のインナー部門の仕事は100%竹嶋繊維に発注してくれました。縫製の技術、納期の厳守などを評価してくれたのだと思います。100%受注というのはすごい数量でした。当社だけでは捌ききれないので、九州各地の同業社にお願いしました。創業して10年頃までは、当社の仕事は全て福助の仕事でした。しかし、その後は他の会社の仕事も少しずつ引き受けるようになりました。

というのも、福助の上司の方が東京や大阪の繊維・服飾業界の大企業を紹介してくれたのです。それで、福助以外の会社の仕事も引き受けるようになりました。大手の一流企業ばかりを次から次へと紹介していただき、ありがたかったですね。仕事には丁寧に取り組みました。紹介してくださった方の顔をつぶすわけにはいきませんから。

売上が3億円を超すとひとりで管理するのは無理なので、3人の息子たちに手伝ってもらうことにしました。ひとりずつ順番に、それまでの仕事を辞めてもらって当社に入ってもらいました。今は次男と三男が一緒に働いてくれています。長男は独立して、他の会社で仕事をしています。

日本の繊維産業の厳しい現状

創業から43年が過ぎましたが、日本の繊維産業の状況はとても厳しいです。中国が出てきたので加工賃が安くなり、仕事はあるのに売上が減少しています。当社は、大手メーカーからの直の発注が多いのですが、大手メーカーがきついと言っているほどです。ですから、当社も大変ですが、当社から受注する下請けはもっと厳しくなっています。

そういう中で、品質や納期、管理へのプレッシャーが非常にきつくなっています。品質面で問題が起きると影響が大きいので、意識して外注を減らすようにしてきました。結果として、売上も落ちるのですが、管理や品質を直接管理できない外注は意図的に減らしました。苦しくなりましたので、2、3年前から売上が上がるように外注を再開しました。

一旦外注を整理したあとなので、管理や品質など信用できる会社を選び仕事ができるようになりました。

自社ブランドでの製造販売に挑戦 作るプロに徹することを決める

経営が厳しくなる中で、自分のところで作って自分で売れば利益が上がるじゃないかという声は多く、確かにそうだなとも思いましたので、2010年に、自分たちのブランドで売ることにチャレンジしました。費用をかけて3年間努力しましたが、企画料が高くついて、売上は上がるのに利益が残りませんでした。ファッションの世界は変化が激しいし、マーケットの好みも厳しく、変わりやすいのです。デザイナーでも企画でもプロと付き合ってきましたから、いいものは作れますし、デザインもできます。そのためには相当な投資が要りますが。でも、何千枚、何万枚を売るとなると、当社には無理でした。

しんきん合同商談会にも出ましたが、九州域内では当社の主力商品である下着を見に来てくれる会社はありませんでした。それで1回でやめました。金もかかりましたが、いい勉強になりました。売るには売るプロがいます。当社は作るプロに徹することに決めました。

日本企業と合弁でベトナムでの製造に挑戦

現在、当社で働いている従業員は33名で、そのうち18名はベトナム人の研修生です(取材時)。ベトナム人の研修生は20年ほど前から受け入れていて、徐々に増えてきました。明るいし、しっかり働いてくれていますので、今後も受け入れていきたいと思っています。ベトナム人研修生の受け入れは、九州では当社が一番古いと思います。

一方で当社は、ベトナムにも現地工場を持とうと調査をしてきました。7~8年前(取材時)から、いろいろと組む相手を探してきました。得意先にも声を掛けますと、ある日本企業がうちと組もう、一緒にやろうと言ってきました。話し合いの結果、2社の合弁事業として、ベトナムに進出しようということになりました。最初から土地を買って、建物を建ててやろうという計画です。副社長をしている3番目の息子をベトナム進出の担当者にしました。言葉が分からないのでいろいろと苦労もしましたが、ようやく形になってきました。いろいろな経験をしました。実際に進出すると決めて初めて見えてきたものもあります。

しかしながら、当社は、今年(取材時)の2月に苦渋の決断をしました。ベトナムへの工場進出を断念するという結論を出したのです。理由は3つあります。

(1)利益率の上昇が見えないこと。
モノはどこで作っても、いいものを作ればいいというのはその通りで、当たり前のことです。しかし、実際にベトナムに工場を作ったと言うと、「お宅はベトナムに工場を作られたんですね。工賃が安いでしょう」と言われ、その次に「価格も安くできるでしょう」という話をされます。従業員の給料が安いことを見込んで、発注側が安く作らせようとするのです。そうなると利益率などは改善できません。

(2)本来、日本でできるモノづくりがベトナムに流れてしまっている現実。
さらに考えさせられたのは、当社がやっていた仕事がベトナムに流れていってしまっていることです。日本で作れるはずのモノがベトナムで作られ、その結果日本国内での生産がますます小さくなってしまいます。これで本当にいいのだろうか、と考えてしまいました。

(3)合弁事業の相手に合わせることになり、規模をコントロールできなかったこと。
投資金額は2億円。2社で折半して1億円ずつです。始めてみると、運転資金が相当必要になることが分かりました。合弁の相手は規模が大きく資金も潤沢ですので、運転資金など必要なものはその都度支払うというスタンス。対して当社は、できるだけ小さくしようという考え。ここにギャップがありました。このまま続けると、相手のペースに合わせる形で資金を負担し続けなければなりません。小さく生んで小さく育てるという、当社の望む形にできないことが分かりました。

これらの3点を考慮し、製造拠点をベトナムに持つことは断念しました。ただし、日本でのベトナム人受け入れは続けます。給料はちゃんと支払っていますから、みんな喜んでやってくれています。ベトナム人に日本で働いてもらうことについて、20年以上のノウハウが蓄積できました。よい仕事を作って、しっかり受け入れていこうと考えています。

撤退は2020年2月と決め、ベトナムに行って先方に話をして、2月28日に帰国しました。よい経験をしました。三男の副社長はベトナムに通い、土地の購入、建物の建設、従業員の採用、生産の準備等にずっと関わってきました。たいしたものです。

(下)につづく

この記事について

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