家電からデジタルの法人サービスへ 地方創生と海外進出を 同時に実現するグローカル企業【株式会社アプリップリ 】(下) 遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

代表取締役社長 有田栄公

株式会社アプリップリ
創業:1980年5月5日
事業内容:アプリ開発、クラウド型アプリケーション構築、業務ソフトウェアの提案、ITソリューション提案
従業員数:本社22名、ミャンマー子会社4名、グループ計26名
所在地:福岡県嘉麻市山野 875-2
経営理念:お役立ちと安心をまじめに提供する

)からのつづき

新社名は、株式会社アプリップリ。2020年1月に社名を変更

旧社名の有田電器情報システム株式会社は、LANやサーバー、ビジネス電話機、セキュリティなどがメインのIT事業者でした。しかし、今や我が社はソフトウェア開発やクラウドプラットフォームの提供が主となり、創業から40年の節目もあって、社名をアプリップリに変更。プリンス(王子様)のように力強くスマートで、プリンセス(王女様)のようにきれいでしなやかな、アプリケーション・サービスを提供するという意味です。

旧社名を付けた時、私は家電販売店の2代目として戻ってきたので、電器という名前が捨てられなかったのです。その結果、東京でも大阪でも有田電器情報システムは電器屋と思われていました。今は顧客の9割は福岡県外です。海外展開の第一歩として、今年2月にはミャンマーに100%子会社、アプリップリ・ミャンマーを設立。登記なども横文字ですので、これを機に一気に変えることにしたのです。

中小企業家同友会の例会で怒られて目が覚めた

福岡県中小企業家同友会の代表理事の任期が満了となり、相談役理事を仰せつかっています。同友会に入って19年(取材時)です。会で学んだことで、忘れられないことがふたつあります。 ひとつは経営者の覚悟、もうひとつは定期採用です。同友会で勉強をし過ぎたために会社の面倒を見るのがおろそかになり、経営がガタガタになったことがありました。私は技術者ですので、システムを作ったり、ネットワークを構築したり、何でも自分でするのが生き甲斐で、社員に仕事を任せられなかった時期があったのです。

同友会の例会で、「経営者と職人とふたつともしたいのですが、そのためにはどうしたらよいですか」、と質問したことがあります。私には切実な質問でした。欲張りだから、ふたつともできるはずだと思っていました。そうしたら先輩経営者からすごく怒られました。「自分がやりたいことをしたいのだったら同友会なんか辞めてしまえ」と。「お前は経営者の覚悟がない」「社員はお前のものじゃない」「社員のことを考えていない」「社員を信用していない」「三流やねえ」、とまで言われました。本気で叱っていただいたこと、とても感謝しています。

中小企業家同友会が重視する定期採用を実践

現在(取材時)の従業員の数は26人。国内に22人、海外に4人です。毎年定期採用をしてきました。いくら能力の高い社員が揃っていても、彼らもいつか定年を迎えます。その時に若手が育っていなければ、会社の層は一気に薄くなってしまいます。あの時叱られたことが会社の運命を大きく左右しました。

13年ほど前(取材時)、福岡県中小企業家同友会の共同求人委員会に勉強に行きました。すると、ある女性経営者から言われたのです。「有田くんはここで学んで、今年から定期採用を5年間は必ず続けなさい。考えるのはその後ですよ。でもね、多くの人が3年ぐらいで定期採用をやめるのよ。そして、やめた人の8割が同友会の求人委員会に行ったって無駄と言うの。有田くんは、8割になるのか2割になるのか、どっちかな」と。

この時、8割の方になる自分が見えた気がしたんです。へこたれて景気が悪いとか言って諦めて、自分が悪いくせに、「同友会の共同求人委員会で勉強しても意味ないよ」と言う自分がふっと見えました。そういう自分に腹が立って、絶対続けようと。この言葉がきっかけで、定期採用の仕組みを作ることができました。今では担当部署に全てお願いしており、会社の中に仕組みができています。

これからは社会貢献活動に取り組みたい

あと数年で私は会長になります。私は欲張りですので、若いうちに会長という立場で社会活動に関わりたいのです。40代とか50代で経験することに意味がありそうな気がしています。次世代に渡していく義務を大きく感じていますので。

地方創生の活動として、4年前(取材時)に「株式会社かま」を設立。嘉麻市の人口は3万6千人で、毎年千人ずつ減っており、20年後も市があるかどうか分かりません。この辺りも太古まで遡ると2000年ぐらい前からあったはずでしょうから、今度は私たちの世代が地域を次の世代に引き継ぐ役割を全うしなければと思っています。

ミャンマーに子会社を作り、現地の女性が社長となって活躍

シンガポール、中国大連、ウラジオストク、タイ、香港、深圳など、アジア中でお取り引きさせていただきましたので、その国の性格とか文化とか危なさが理解できるようになっていました。そんな中で、ミャンマー人は日本人みたいだと感じていました。

ミャンマーに詳しい方たちは、「50年ぐらい前の日本のようだ」と表現されます。50年ぐらい前の日本って、お米や醤油が家にない時は隣近所で貸し借りする付き合いがあって、隣近所は親戚みたいにお互い助け合うことがあたり前だったそうです。ミャンマーではそういうことが今も生きています。日本人と似ているという感覚はそのような部分だったのかもしれません。それで100%子会社をミャンマーのヤンゴンに設立することを決断しました。これから50年、しっかり付き合っていくぞという気持ちです。ミャンマー子会社の社長は、ミャンマー人で28歳の女性です。彼女が地に足をつけてやれるようになったらよいと思っています。

それと、ミャンマーはアジア全体の中でどの国に行くにも便利です。ヤンゴンからバンコク、バンコクから香港、シンガポールにも上海にも近いですから。弊社のアジアでの事業の拠点になると考えています。

【若林宗男のココに注目!】

家電メーカーがパソコンを売り始めた時から一貫して、顧客がパソコンやそれに続くネットワークやデジタルシステムを使いこなせるようになることを目指して仕事をしてきた。人口3万6千人の福岡県嘉麻市に本社を置きながら、企業のネットワークシステムやデジタル化を推進する仕事を提供し、顧客の9割を福岡県外の企業が占めるという。アナログの家電からパソコンに象徴されるデジタルに転換する時代の変化に、伸び伸びと対応してきたように思える。この「伸び伸び」感は有田社長の特質だ。私は欲張りだから、と口癖のように言うのがとても面白い。

それは、自分の中にやりたいことがあることを素直に認めて具体化する、有田流の行動様式だ。初代と2代目の両方になる、企業の会長として中小企業家同友会に貢献しようとする、地域おこしのための会社を起業する、社員の採用には関わらない、等々、有田さんらしいこだわりがとても興味深い。企業の会長と中小企業家同友会のリーダーを両立させようとしている、欲張りな有田さんのこれからの活動に期待したい。

ポイントまとめ〜アナログからデジタルへ、地域を超えた活躍

1.パソコンの顧客が個人から法人になるのに合わせて、会社を分けて新会社を設立。
2.客層に合わせ、時代と共にサービスを自在に変化させる。
3.やりたいことを妥協せず取り組む姿勢。
4.県外の客との関わりが広がり、全国に顧客を持つように。
5.ミャンマーに子会社を設立。現地の人々による経営を続ける。

(おわり)

この記事について

元気な中小企業は、地域の宝!
地域経済を牽引する数多くの中小企業のなかから、福岡・佐賀・長崎の元気企業を紹介します。
中小企業経営者の波乱万丈の物語から、地域に愛される秘訣、世界に誇れる技術など、企業と地域を元気にするヒントがここに!