家電からデジタルの法人サービスへ 地方創生と海外進出を 同時に実現するグローカル企業【株式会社アプリップリ 】(上) 遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

代表取締役社長 有田栄公

株式会社アプリップリ
創業:1980年5月5日
事業内容:アプリ開発、クラウド型アプリケーション構築、業務ソフトウェアの提案、ITソリューション提案
従業員数:本社22名、ミャンマー子会社4名、グループ計26名
所在地:福岡県嘉麻市山野 875-2
経営理念:お役立ちと安心をまじめに提供する

父親が創業した家電販売店を継いで、IT企業に転換して発展

1989年、21歳の時に実家に戻り、父と一緒に家族経営にて6年間家電の仕事に没頭しました。父は松下電器のチェーンストアーを経営していました。私は2代目の長男ですから、家業の家電販売店を捨てるわけにはいかなかったのです。当時、父と酒を飲みながら、話をしました。「もうそろそろ法人にしよう!」「国道沿いに電気屋建てたりするのもいいよね」など。バブルが崩壊する前後でした。競争相手のいない田舎、親子4人で仕事 しますので、好調でした。それはもう、すごい時代でした。

家電店がパソコンを個人客に売る時代

1995年、Windows95 が発売され、松下電器がパソコンを作るようになりました。 これまでなかったパソコンを、我が社も販売するようになったわけです。そこで、パソコン販売の会社を27歳の時に設立しました。会社を作って法人経営の勉強を開始する思いもありました。社名は有田電器有限会社。単に有田電器に有限会社を付けただけです。

当時、弊社でパソコンを買う人は皆個人でしたが、3種類ありました。ひとつは、孫のために買うおじいちゃん、おばあちゃん。ふたつ目は、町内会の仕事をパソコンを覚えてちゃんとやりたいという方たち。みっつ目は、年賀状をパソコンで作りたい方々。パソコンを売れば終わり、という時代ではありませんでした。「操作を教えてくれるならパソコンを買ってもいいけど」という方たちが100%でした。A4の紙に1時間で8千円のパソコン講習券を印刷して、短冊状に切って10枚ひと綴りにして8万円で販売。これが飛ぶように売れました。肩揉み券くらいの感覚で作りましたが、大人気でした。

法人がお客になる

そうこうするうちに、企業のお客様が増え始めました。パソコンで仕事をしたい、会計や販売管理をやりたい、見積もりをエクセルで作成したいという企業が増えたのです。家電は個人相手がほとんどでしたが、パソコンの購入客は法人でした。

個人と法人では、働く時間や提案スキームが全く異なります。父も私も、同じ場所で一緒に仕事をすることは 不可能だと判断し、国道沿いに新社屋を作ることにしました。新しい会社は当時成長著しいITでしたので、どんどん大きくなっていきました。私の会社を有限会社から株式会社に切り替えた時に、社名を有田電器情報システム株式会社に変更し、家電と情報システムの両方を扱う意味を込めました。同時に父の会社を吸収し、父に取締役会長になってもらいました。

社内に家電部門を新設しましたが、それから14年たった今年(取材時)、父は元気なうちに家電業務を引退し、会社の家電部門は幕を閉じました。

初代と2代目の両方をやりたい

私は欲張りですので、悩みました。50歳になっても60歳になっても、「あんたはお父さんの敷いたレールの上を行けていいね」、と言われると思ったのです。町の電気屋の2代目の私がいくら頑張っても、お客さんも周りも、「お父さんの後を継げるからいいね」、というような見方しかしません。そう思われて年とっていくのって、なんか嫌ですよね。思案の末、「そうだ! 私が会社を作って父の会社を吸収したら、私が初代と2代目のどっちもできるな」と思い付き、一気にその方向に進むことにしたのです。

個人がお客の家電店から、法人がお客の情報システム会社へ

当時、筑豊地区のパソコン会社は弊社だけでした。そこでNECが肩入れして、私を育ててくれました。LANやWANなどのネットワークの利用が始まった頃で、これらのネットワークサーバー知識を徹底的に教えてくれたのです。当時、この辺でサーバーを扱っているところは弊社だけでしたから、ものすごい量のお仕事をいただきました。

しかし、300万円のご注文が同時に5件も来たらすぐに資金ショートです。当時のIT業界では、ハードの仕入れは先払いで、お客様からのご入金はよくても翌々月払いでした。給料支払いは先に2回も発生しますので、資金繰りが本当に大変でした。いつも信用金庫さんに泣きついていました。プレイングマネージャーでしたから、納品物を作ることに燃えていて、資金ショートのことなど全く考えなかったのです。お客さんのために仕事が思いっきりできる喜びに満ちており、24時間365日働いていました。普通なら黒字倒産のケースです。信金さんには何度も助けていただきました。 お客様にも恵まれました。パソコン教室のチケット込みで売っていた頃は個人が中心でしたが、2年も経たないうちに法人が 中心になりました。当時は、「パソコンを導入したい。御社で可能ですか?」という電話が多く、全国から調べて探して見つける姿勢のバイタリティある会社さんばかりでした。「5年10年先を見据えた取り組みをしたい」、「こういうふうにしたいけど協力してくれないか」と、前向きな話から始まりますので、使命感に燃えていました。こんな田舎にいて、そんな話から始まる毎日ですので、社員一丸となって突き進んでいました。

そのうちの一社は建設会社ですが、今では地域のサブコン的存在になっています。お付き合いが始まった頃の売上は7億円とお聞きしていましたが、今では50億円を超えたそうです。だれよりも早く、建設業界にIT導入を勇気をもってご決断された社長のすごさだと思います。バブル崩壊後で景気が悪い大変な時期に、IT化を決断されたのです。その会社の経理の方々にとっては、当時は雲をつかむようなIT化でしたが、私たちを後押ししてくれました。社長は「不景気で仕事がないから、今準備するんだ」と言っておられました。

お客様が法人ばかりになりましたが、そのうちの1割は福岡県内で、残りの9割は全国にありました。福岡勤務の後、和歌山、それから岡山の支店長になられたお客様が異動する度に新任地に私たちを呼ぶのです。そして、「この支店のコンピューターの仕組みも福岡支店と同じようにやってくれ」とおっしゃるのです。また、福岡支店から他の支店に転勤され、「今度ご飯食べにおいで」とお誘いがあり訪問すると、仕事を作っていただいているのです。打ち合わせも何もなし。ありがたかったです。そうやって、全国に拡大していきました。

)につづく

この記事について

元気な中小企業は、地域の宝!
地域経済を牽引する数多くの中小企業のなかから、福岡・佐賀・長崎の元気企業を紹介します。
中小企業経営者の波乱万丈の物語から、地域に愛される秘訣、世界に誇れる技術など、企業と地域を元気にするヒントがここに!