人生さえも変える体験を 多くの人々に伝えたい 地域住民と作り上げる 市民参加型のミュージカル 【有限会社 劇団ドリームカンパニー 】(上)遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

代表取締役 德満亮一氏

昭和37年鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市隼人町)生まれ。
大学を卒業後、役者を志望して福岡の劇団に入る。平成3年に独立してドリームカンパニーを設立。
現在はプロデューサー・演出家・脚本家とマルチに仕事をこなしつつ、地方に出向いては地域の人たちを指導する日々を過ごしている。

有限会社 劇団ドリームカンパニー
創業:平成3年
事業内容 :ミュージカル・各種演劇の制作
本社所在地:福岡市
電話:092-651-1094
HP:http://www.dream-company.net

福岡市東区を拠点に活動しているオリジナルミュージカル創作集団。
幼児からお年寄りまで楽しめる作品を全国各地で企画・公演中。
特に住民参加型ミュージカルの制作・プロデュースを得意とし、九州各地の地域づくりに貢献している。

進学した福岡で劇団員に

劇団ドリームカンパニーを率いるのは德満亮一氏。脚本家、演出家としてこれまで多くの舞台作品を手がけ、九州演劇界で広くその名を知られる存在だ。

演劇を始めたのは意外に遅く、福岡の大学をまもなく卒業しようという頃。少年時代から俳優という職業に憧れを持ってはいたが、故郷の鹿児島では演劇に触れる機会は皆無で、大学でも体育会の少林拳法部に入ってしまい、芸術とは無縁の毎日を送っていた。しかし卒業を控え同級生がそれぞれの道を決めてゆく中、『一度しかない人生。好きな道に挑戦したい』という気持ちが湧いてきたため、思い切って福岡市の有名劇団の門を叩いてみることにした。

そこは当時福岡に数多あった劇団の中でも規模が大きく、知名度も高い団体。100人以上のメンバーがいて、役を得るには厳しい競争があった。幼少時からの演劇経験がある者も多く、完全にスタートは出遅れていたが、ここで武道の経験が役に立った。鍛えた体から生まれるキレの良い動きが制作者の目にとまり、入団早々にアクション舞踊のショーに抜擢されたのだ。初舞台での立ち回りを全力で演じ切った德満氏は、すっかり演劇の魅力にとりつかれてしまう。

この世界で生きていく決意を固めた德満氏は、反対されるのを覚悟して鹿児島の両親に告げたところ、意外にもすんなりと賛成してくれた。「普段は寡黙な父が『天職だと思って頑張れ』と言ってくれました。その後も色々と応援してくれて、両親には本当に感謝しています」

その頃、時代はバブルの黎明期に入ったが、劇団には決まった給料などなく、出演した分だけの歩合制。風呂なしのアパートからアルバイトに通う毎日だったが、好きなことに打ち込む生活は楽しかった。

独立して自身の劇団を旗揚げ

地道な努力を重ねているうち、入団から1年後に初めてセリフのある役がもらえた。 少しずつ自信もついていき、平成元年のアジア太平洋博覧会では、テーマ館の中でアクションショーの主役を得ることもできた。しかしその後、俳優として様々な舞台を重ねていく間に、德満氏の中で自分が本当にやりたい方向が見え始める。転機となったのは入団5年目に書いた初のオリジナル脚本だった。「若手だけで舞台を作ることになり、手を挙げて脚本を書かせてもらったんです。それを自分で演出し、お客様が喜んでくれたのがとても嬉しくて、自分はこっちに行こうと思いました」

そこで平成3年、意を決して8年間所属した劇団を辞め、自身の劇団ドリームカンパ ニーを立ち上げた。集まったメンバーは俳優やダンサー、作曲家、振付師、舞台美術家など、様々な夢を持った若者たち。その活躍の舞台を作ることは、德満氏自身の夢でもあった。平成4年3月に行った旗揚げ公演は、憧れの舞台だった天神のイムズホールで行った。作品はあるアパートに住む人たちがそれぞれの夢を追い、ドラマを描いてゆくミュージカルで、自分たちの姿とも重なっていた。この公演は評判も良く、その直後には筑紫野市や那珂川町、佐賀県三瀬村など地域での公演が次々に決まっていった。

しかし舞台が大掛かりになるにつれて、資金面の苦労が大きくなってきた。德満氏の志向する『ミュージカル』というジャンルは、普通の舞台劇に加え音楽やダンスなどの要素が多いため、どうしても費用がかさんでしまうのだ。また、舞台は公演が終わらないと現金が手元に入らないが、制作費用は準備段階から次々に出ていくため、早くから資金を確保しておく必要がある。そこで頼りにしたのが福岡信用金庫だった。平成6年に結婚した昌子夫人の実家が幼稚園を経営しており、同金庫と取引があったのが縁でお付き合いが始まった。経営面では素人だった德満氏は、以後何かにつけて信用金庫に相談するようになり、現在まで20年以上(取材時)にわたる信頼関係が続いている。

グリム童話をミュージカルにした「ブレーメンの音楽隊」。
幼稚園や小学校で変わらぬ人気がある。

実績を積み上げ、ついに博多座へ

昌子夫人の実家の幼稚園からは公演の依頼もあったため、子供向けにアレンジした楽しいミュージカル「ブレーメンの音楽隊」を作ってみた。すると園児たちはとても喜んでくれて評判が広まり、あちこちの幼稚園から出張公演の依頼が入るようになった。この演目は現在も各地で公演するロングラン作品になっている。大人から子供まで楽しめる「ファミリーミュージカル」というジャンルも企画し、平成4年に友情や親子の愛情をテーマにした感動作「村一番のしあわせ者」を初上演。この演目もこれまで観客動員数が10万人を超えるヒット作となり、各地の人権週間や青少年健全育成事業などでも採用されている。

「ミュージカルは食わず嫌いの方も多いジャンルですが、是非質の高い作品に触れて感動を体験して欲しいですね。そのためには小さいうちから親しんでもらうのが一番なので、子供や青少年向けの作品には特に力が入ります」

同社の作品に共通する特徴は、観ると心が元気になるような、楽しさや感動が満ちあふれていること。これを自ら「ビタミン・ミュージカル」と名付け、常に高い意識を保ちながら、本物と呼ぶにふさわしい舞台を創造し続けている。

創立10年目の平成13年には法人化を果たして有限会社となり、同年12月には九州では最高の舞台である博多座から脚本制作のオファーが届いた。内容は山口県の女性童謡詩人・金子みすゞの物語を書いて欲しいというもので、依頼を受けた德満氏はみすゞの故郷・山口県に出向いて入念なリサーチを実施。その悲しい生涯と美しい心情を、2幕2時間半の舞台で見事に描き出した。12月に行われた公演は大好評で、その評判は山口県まで届き、翌平成14年には作品の舞台である長門市での凱旋公演が実現。故郷の市民に、金子みすゞの姿を紹介することができた。さらに翌15年にもアンコールの声に応えて博多座でも再々演を実施。福岡の演劇界に確かな足跡を残した。

)につづく

この記事について

元気な中小企業は、地域の宝!
地域経済を牽引する数多くの中小企業のなかから、福岡・佐賀・長崎の元気企業を紹介します。
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