創業100年の神埼の小さな菓子店 三代目の意地【大串製菓店】(上)遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

大串製菓店 代表 大串久昭 氏

昭和43年佐賀県神埼町(現在の神埼市)生まれ。
サラリーマンとして働いていたが、家業の菓子店に戻って父親に師事。慣れない仕事に苦労するも、産学官連携で開発した「ひしぼうろ」が起死回生のヒット商品に。今では地域に元気を生み出すリーダーのひとりとなっている。

大串製菓店
創業:大正8年
事業内容:菓子・餅類の製造販売
本社所在地:佐賀県神埼市
電話:0952-52-2888
ホームページ:https://hishibouro-saga.com/
令和元年に創業100年を迎えた和菓子店。菓子どころ佐賀平野において地域の名店として愛されてきた。三代目を継いだ久昭氏の手によりヒット商品が生まれ、全国への発送が始まっている。

佐賀の特産品・菱の実を知ってますか? 

「ヒシ」と聞くと「ヒシ型」「菱餅」「ミツビシ」など角張った形は思い浮かぶものの、それが植物であることは知らない方が多いのではないだろうか。
そもそも菱とは日本全国や東アジアの湖沼に自生する植物で、葉は水に浮いて水面を覆うように生い茂る。夏から秋にかけて白い花を咲かせた後、両端にトゲがある実をつけ、秋までに大 きく発育した実は水底に沈んで冬を越す。
その実は文字通り(でもない感もあるが)V字型の角を持つヒシ型をしており、2本のトゲは大きく鋭い。
忍者は逃走する 際にこれをばら撒いて(マキビシ)追手の足を止めたと伝えられるが、そのように使われた正確な記録はないそうだ。

実にデンプン質を蓄積するため日本では古来より食用に用いられ、古くは万葉集の中で柿本人麻呂が、ヒシの実を摘む際に袖を濡らした情景を歌に詠んでいる。
茹でたり蒸したりするとホクホクして栗に近い味と食感があるが、正直言って栗ほどの甘みや旨みはない。しかし穀物が豊富ではなかった時代には貴重なデンプン質だった。戦後の食糧難の時代には、な んと佐賀平野を全て菱の水田にしようという計画もあったという。

菱の実。昔はおやつとしてよく食べられたそうだ。

神埼地区の取り組み

現代の日本では菱の実を食べたり、水辺に生えているのを見かけたりすることはまずないが、クリークが巡る佐賀平野の神埼市では現在も神埼和菱組合によって栽培が受け継がれ、ハンギーと呼ばれるたらい船を浮かべて摘み取る風景が秋の風物詩となっている。
余談であるがこのハンギーはバランスを取るのが非常に難しいため、地元の夏祭り などでは水上競技が開催され、慣れない素人が豪快にひっくり返る様子が楽しいニュース映像として毎年放映されている。

神埼市ではこの菱を地域の文化として受け継ぐ活動を続けており、和菱組合への支援や特産品としてのPR、学校行事での収穫体験など様々な事業を行ってきた。特に話題となったのは菱の実を用いて県内酒造メーカーと共に開発した日本初の菱焼酎で、一昨年平成29年度の福岡国税局品評会では本格焼酎の部で金賞を受賞。
クセのないスッキリした味わいと高級感あるラベルで、今では地域を代表する贈答品にもなっている。

長崎街道〜シュガーロード

そんな神埼市は江戸時代より長崎街道の宿場町として栄えた歴史があり、市内には今もその風情を感じさせる古い家並みが残っている。
長崎街道は長崎に陸揚げされた輸入品や献上品を江戸や京都、大阪に運ぶ通り道となったため、当時貴重品であった砂糖もこの街道から全国へ普及していった。
その影響もあって長崎や佐賀にはカステラや丸ぼうろ、羊羹など地域色の強いお菓子が今も個性を競い合っており、長崎街道は別名シュガーロード(砂糖の道)とも呼ばれている。

神埼市にある大串製菓店もそんなシュガーロードの物語を受け継ぐお店のひとつ。家族経営の小さな菓子店だが、創業は大正8年。令和元年に 100 周年を迎えた老舗である。
現在の店主・大串久昭氏は三代目で、祖父は餅屋として開業。餅は桜餅やおはぎな どお菓子としても食べられるため、先代の頃から旧長崎街道に店を構える菓子店となり、 長年行事や贈答に欠かせないお店として地域に愛されてきた。

本意でない家業を継ぐことに… 

大串代表が店を継いだのは今から 年前の平成19年のこと。それまでほとんど手伝ったことがなかった家業へ、30代も後半となってからの転身だった。

「菓子屋を継ぐ気なんて昔から全くなかったんです。土日の休みも欲しかったし、『決められた道へ進むなんて』という反発もあって、学校を出てからはずっと建設機械レンタルの会社で働いていました」

一般的に一度サラリーマンになった人が思い直して家業を継ぐ理由は「①離れてみると家業の良さが見えてきた」「②父の病気や怪我、引退がきっかけ」のほぼどちらかであるが、大串代表の場合は当時低迷していた建設業界が嫌になり、特に次を決めないまま会社を辞めたことだった。
歯切れの悪い言葉から推測するに、その頃は離婚を経験するなど私生活も低調な時期だったようだ。次にやりたいことがなかなか見つからず、手持ちのお金も底をついてきたため、やむなく実家の父に頭を下げて、家業を手伝うことに した。

地方の小さな菓子店の厳しい現実

長年続く菓子店とはいえ、当時の出荷先は地域の直売所など限られた範囲のみ。看板商品の「丸ぼうろ」の他は季節に合わせた「桜餅」や「おはぎ」など、家族がなんとか暮らしていけるだけの量をコツコツ作っては販売する地道な商売であった。

100万円単位の建設業界から 10円、20円単位の菓子商売へ。最初の 2、3年は食べさせてもらえるだけで給料はゼロ。やむなくサラリーマン時代に買ったクルマや時計を手放し、自分の生活費に充てる暮らしだった。
それまで難しそうには見えなかった菓子作りの仕事も、いざやってみると材料の割合や季節・天候に合わせた微調整、お客さんの好みを考えての提案など、思いのほか繊細で奥の深い世界。自分の無力さと父の技量 を思い知らされた。

厳しい現状を打破する、チャンス到来?

金銭面も仕事も先行きが見えない時期が3年ほど続いた後、大串代表の人生に光をもたらしたのは地域の特産品「菱の実」であった。
そのころ神埼市では、前述の菱焼酎がヒットして特産品としての地位を築いていたが、焼酎に使うのは実のデンプン質のみで皮の 部分は大量に廃棄されていた。しかし神埼市にキャンパスがある西九州大学の健康栄養学科・安田みどり教授が研究を重ねた結果、菱の皮には生活習慣病を予防する効果があるとされる成分「ポリフェノール」や、他にも多種類の栄養素が豊富に含まれているこ とが判かったのだ。
そこで西九州大学側が神埼市に対し、余った皮を利用した新たな特産品の開発を提案。これに応える形で市が神埼市商工会に事業を託し、商工会が白羽の矢を立てたのが地元で長年愛されてきた大串製菓店だったのだ。

このような経緯で平成23年10月に商工会より大串製菓店へ正式に「産学官の連携で菱の実を使ったお菓子を開発する事業」への協力依頼があった。
責任の重い仕事に戸惑う父に対し、現状を打破する機会を求めていた大串代表はこれをチャンスと捉えたのだ。 技量にはまだ自信がなかったが、店主の父に代わり、神埼市菓子組合を代表してプロジェクトに取り組むことにした。

「引き受けはしたものの、その頃は菓子を作って3年目なので素人も同然。でも変な意地があって父には教わりたくなかったんですよね。それで父の知り合いの菓子店に聞いてアドバイスを受けながら試作をはじめました」

)につづく

この記事について

元気な中小企業は、地域の宝!
地域経済を牽引する数多くの中小企業のなかから、福岡・佐賀・長崎の元気企業を紹介します。
中小企業経営者の波乱万丈の物語から、地域に愛される秘訣、世界に誇れる技術など、企業と地域を元気にするヒントがここに!