時代の流れに抗って主力商品を国産畳に戻し生産者とも交流を続ける若き国産い草の伝道師 【株式会社 佐野疊屋】(上)遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

店主 佐野典久氏

昭和55年福岡県田川市生まれ。
福岡市で音楽活動をした後、家業の畳店を継ぐ。
自ら「国産い草の伝道師」を名乗ってその素晴らしさをPR。
い草生産農家とも交流するなどユニークな活動が注目されている若手事業家。
畳一級技能士。

株式会社 佐野疊屋
創 業:昭和 24 年
事業内容:畳と建具等の製造・施工
本社所在地:福岡県田川市
電話:0947-42-8097
ホームページ:http://www.sano-tatamiya.com

福岡県田川市で3代続く畳店。
3代目を継いだ典久氏により、高級国産畳表への切り替えや個人顧客層の獲得など経営改革に着手。大幅に業績を伸ばして平成29年に法人化を果たし、地域に明るい話題を提供している。

ミュージシャンから家業の畳屋へ

日本家屋に欠かせない伝統的な床材・畳。しかし近年では生活の洋風化に伴い用いられる枚数が少なくなり、1枚もない新築家屋も増えている。

そんな厳しい環境の中、畳をこよなく愛し、国産畳を広めるため頑張っている熱い畳屋さんがいると聞き、筑豊の田川市に向かった。かつて豊富な石炭を産出した田川市は炭坑節発祥の地としても知られ、戦後すぐには人口が10万人を超えるほど栄えていた。しかし炭鉱閉山後、人口は減少の一途を辿り、現在は最盛期の半分に満たない5万人弱にまで減っている。

株式会社佐野疊屋の工場は、そんな田川市の南東部、周囲に山林や田園が広がる静かな環境に建っている。店主で社長の佐野典久氏は昭和55年生まれの37歳(取材時)。祖父、父の代から続く畳屋の次男に生まれたが、自らの夢を追いたい気持ちを抑えきれず、卒業後は福岡市でアルバイトをしながらロック・ミュージシャンを目指していた。それでも24歳の時に「(重い畳を運ぶ仕事は)もう体力的にきつい」とこぼす母からの電話に気持ちが変わり、家族の支えになるべく帰郷を決めた。

田川に戻ったものの、家族でやっていた畳屋の経営は右肩下がりで借金もあった。周囲も人口減少や石炭関連補助金の打切りで景気は悪く、市内でも商売をやめる畳店が出てきていた。

しかし、そんな状況でも典久氏は下を向くことなく、家業の立て直しを目指して頑張ろうと決意。そのためにはまず畳作りの基礎をしっかり学ぼうと思い、帰郷して翌年の平成17年4月、福岡県春日市にある「福岡高等畳職業訓練校」の門を叩いた。

この学校は畳産業に携わる後継者の育成と技術習得のために設立され、訓練生は働きながら週に1度集まって畳に関する専門知識と技能を身につける。ここでの学びを通じ、家業の手伝いでは知り得なかった畳の世界の奥深さを知るにつけ、典久氏の心に畳への愛情と持ち前の探究心が芽生えてきた。

伝統的なわら床の芯材に畳針でい草の表を縫い付けていく。
手縫いの技術を持つ職人は減っていく一方だ。

い草をもっと知るため、生産者を訪問

この頃、自社で作っていた畳のほとんどは、主に中国で作られた外国産の畳表を、発泡プラスチック系の断熱材の一種であるスタイロフォームと建材チップで作られた畳床に機械で縫い付けて作るもの。生産コストが安く、カビやダニも発生しにくいため、現在流通している畳のほとんどはこのタイプだ。一方で昔からある伝統的な畳は、わら床の芯材にい草で編まれた畳表を手で縫い付けて作られる。定期的に畳を上げて天日に干す必要があるなど手間はかかるが、わら床が柔らかいため長時間座っても疲れず、部屋の湿度を調整する機能に優れているなど長所が多い。佐野店主も時代の流れを受け、深く考えることもなくフォーム床に外国産畳表を張った畳を主に施工していたが、畳職業訓練校で伝統的な国産畳に触れるうちに感じたことがあった。

「昔ながらの手縫いを覚え、試しにやってみているうちに国産と外国産では畳表の感触が全く違うことに気づいたんです。その違いはどこから生まれるのか興味が湧いて、調べていくと畳表の原料となる『い草』は熊本県の八代地方が日本一の産地だと知りました。そこでまずは行って見てみようと思ったんです」

何のつてもないまま八代に行ってJAを訪ね、窓口で畳にかける思いを語ると、対応した職員が生産者の家に連れて行ってくれた。い草農家の方でも、長年い草を作る中で畳屋が訪ねて来たのは初めてのこと。驚きつつも一途な若者の思いを暖かく受け止め、い草の特徴や栽培方法を丁寧に教えてくれた。

その後も訪問を重ねて農家と交流するうちに、わかってきたのは、国産と外国産では生産者の品質にかける思いに大きな差があるということだった。一般にい草の規格は長さで決まるため、外国産は肥料をたくさん与えて細く長く伸ばす。一方で八代の生産者は、丈夫になるよう不必要に丈を伸ばすことはしない。「長いほうが高く売れるけど、作るからにはいいものを」とあくまで品質が優先だ。このため断面を比較すると国産い草の方がやや太く、中身も多孔質の繊維がギュッと詰まっていて断熱性やクッション性に優れている。また外国産は輸送中にカビないよう乾燥材とともに運ばれるため、乾き過ぎて施工後に傷みが早いこともある。佐野店主が最初に感じた肌触りの差は、こうした違いから生まれていたのだった。

畳表には素材や織り方によって様々な種類がある。
最近はモノグラム柄が人気だ。

知るほどに深まる畳への思い

さらに佐野店主は、生産者と一緒に作業をすることで、い草がいかに多くの手間をかけて作られているかを実感した。い草はもともと湿地などに生える多年草で、稲のように水を張った田で作られる。種子からはうまく育たないため、苗から株分けしながら3代にわたり「分けつ」させて増やしていく。そのため収穫までに約1年半の時間がかかり、その間ずっと水の管理や雑草対策、新芽の発生を促す「先刈り」などの手入れが必要だ。十分に丈が伸びたら6〜7月の暑い時期に収穫が行われる。刈り取ったい草は1日水に浸してから、さらに乾燥防止と品質向上のため泥を混ぜた水に浸す(染土)。これを天日に干して、乾いたら泥を落とし、さらに規格に合わせて長さを切り揃えてから、ようやく出荷されるのだ。

このように膨大な手間と時間がかかるい草栽培であるが、現在八代のい草農家は畳需要の低迷と安い外国産に押されて危機的状況にある。平成元年は市内に7千軒あった総農家数が今では5百軒程度にまで減少し、後継者の育成が喫緊の課題となっているのだ。

そんな現状を目の当たりにした佐野店主は、国産い草を守りたいという思いを強く抱くようになった。「そのためにはエンドユーザーに直接会うことができる僕ら畳屋が、国産畳表の良さを世の中に広く伝えていくこと。そして言葉だけでなく販売もしっかりやって産地を支えていくことが何より大事 !!」と、産地訪問をきっかけに経営の目標が定まり、会社として目指したい方向性もはっきり見えてきた。

しかし、高級な国産畳表はこれまであまり扱ったことがなく、どうすれば使ってくれるのか手探りの状態。そこでまず外国産と対比できるサンプルを用意し、国産の長所を手触りや機能面からアピールしようと試みた。しかし理想や目標はあっても、その頃の売上は工務店等を通じた受注がほとんどで、国産畳表を提案しようとしても、畳にかけられる予算はすでに決まっている状態。お客さんの反応は鈍く、思いはなかなか伝わらない。しばらくは経営的にも苦しい日々が続いた。

(下)につづく

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