まもなく創業100周年の老舗こんにゃくメーカーが新工場を設立しさらなる躍進を図る 【株式会社 古野食品】(上)遊撃する中小企業 〜がんばってますけど、何か?

地域企業

代表取締役 古野秀典氏

昭和45年福岡県鞍手郡(現・宮若市)生まれ。
調理師修業を経て家業のこんにゃく製造の道に入る。
その後先代社長の父をサポートしながら業績を伸ばし、平成22年に社長就任。
近年の急成長で注目を集める若手経営者。
趣味は料理で調理師免許も持っている。

株式会社 古野食品
創 業:大正10年
事業内容:こんにゃく製品ほか食品の製造販売
本社所在地:福岡県宮若市
電話:0949-32-0056
ホームページ:http://www.furunofoods.co.jp

福岡県宮若市で4代続くこんにゃくを中心にした食品製造会社。
平成16年に有限会社、22年に株式会社化。平成29年に工業団地内に最新設備を備えた新工場を建設。近年はこんにゃく麺や野菜具材セットなど、新分野の商品も売上を伸ばしている。

町の小さなこんにゃく屋が原点

宮若市は福岡市と北九州市のほぼ中間に位置する人口2万8千人の町で古くは産炭地として栄えた。平成に入ってトヨタ自動車が進出。この影響で若宮インター近くに造成された工業団地には、現在まで次々に自動車関連の企業が進出している。

そんな工業団地の一角に平成29年、地場企業としては初めてとなる敷地を購入し、工場を建設して新しい歩みを始めたのが、こんにゃく製造が中心の食品メーカー・株式会社古野食品だ。社屋は真新しいが歴史は古く、大正3〜4年ごろに現社長・古野秀典氏の曽祖父が自宅の一角でこんにゃくを作り、近隣に売り歩いたのが始まりだという。記録が残る大正10年から数えると、2021年には創業100周年を迎える老舗である。

しかし平成12年までの約80年間は、どの町にもある小さなこんにゃく店で、自宅を兼ねた敷地内の約20坪の工場で製造していた。長い歴史の中で何度も浮き沈みを経験しており、古野社長が覚えている最初の危機は平成7年のこと。手狭になってきた工場を増築した時だった。当時使っていた機械は老朽化していたため、増築に合わせ新しい機械を入れて増産を図ったのだが、増築で現金を使っていたため機械購入に必要な500万円は残っていない。そこで取引銀行に融資を申し入れたのだが、「今の売上でこれ以上の融資は無理です」と断られてしまったのだ。

父の古野一典氏は八方手を尽くしてみたが、思うように資金は集まらない。困ったあげく、最後に当時はメインバンクでなかった飯塚信用金庫に相談してみた。すると当時の支店長は「なぜ早く言ってくれなかったんですか。自己資金を100万だけご準備してください」と快く融資を決めてくれた。取引銀行が見ていたのは売上と融資額の対比のみ。対して飯塚信用金庫が評価したのは将来へ向けての姿勢だった。「売上を伸ばすための投資ですから、応援するのが金融機関の務めです」と熱く話すのは現在の飯塚信用金庫宮田支店の支店長。この資金によって、こんにゃくを成型する為の高性能設備を導入した古野食品工業は、生産効率を高めて増産することに成功した。

飯塚信用金庫の助けで業績を回復

その後は親子で懸命に頑張り、売上も伸びて自宅敷地内の工場が手狭になってきたため、平成12年に工場を移転。近所にあった瓦工場の空きスペース約100坪を借り受け、事務所と工場を移して会社の体制を整えた。平成16年にそれまでの個人事業から会社組織に改変し、有限会社古野食品工業を設立。初代社長には一典氏が就任した。その後も増産が続いたため、平成18年、同じ敷地内に新工場を建設。しかし翌年の平成19年、最大の経営危機に見舞われる。それは過去に例のない原材料価格の高騰であった。

こんにゃくはこんにゃく芋から作られるが、ほぼ全てが群馬県を中心とした北関東で生産されており、国内流通価格の決定権はそれら産地の出荷業者が握っている。収穫は毎年秋に行われ、その出来栄えにより市場価格が決まるのが業界の習わしであるが、平成19年は夏に北関東が大きな台風に襲われたため、秋からの出荷価格が急上昇。翌20年には前年の約3倍にまで高騰してしまったのだ。

困ったのは全国のこんにゃくメーカーだ。小売価格への転嫁は取引先や消費者の理解も必要で簡単にはできない。古野食品工業でも仕方なく高い原材料を買い、以前とほぼ変わらない価格で出荷する毎日。「商品にお金をつけて出しているような日々でしたね。 同業者の倒産も相次いで、ウチもいよいよダメかと思いました」と古野社長。しかしこの時も救いの手を差し伸べたのは飯塚信用金庫であった。

「どんな業界でも向かい風の吹く時はあります。我々信用金庫は普段の仕事ぶりやお人柄を知っていますから、ご融資することに迷いはなかったと思いますよ」と話す支店長。それまでの長いお付き合いの中で、信頼関係が構築されていたからこその判断だった。

従来の倍のスペースを持つ新工場。
新たな商品展開にも対応できる体制が整った。

こうしてなんとか危機を脱した後、業績は徐々に回復。それでも古野親子は守りに入ることなく攻めの姿勢を貫き、平成21年6月にはさらに工場を増設。平成22年3月には株式会社へと組織を改め、いよいよ四代目の秀典氏が社長に就任した。

確かな味と品質で徐々に売上を伸ばす

新社長の古野秀典氏は就任当時40歳。明るい笑顔が印象的で、いかにも営業畑という雰囲気の人物だ。しかし苦労した経験も持つ。幼い頃に実母を亡くした後、懸命に働く父の姿を見ながら、家事や配達まで手伝って家業を支えてきた。学業を終えると一時は料理で身を立てる道を志し、調理専門学校を出てフランス料理店で働いたが、バブル前後で世の中が大きく変わる中、悩んだ末に家に戻り、こんにゃく店を継ぐ決心を固めた。

就業当初は毎日出来上がったこんにゃくをトラックに積み込み、得意先のスーパーや商店を回って注文分を下ろしていくスタイル。その合間に飛び込みや紹介で営業活動を始めた。やがて自然に職人肌の父・一典氏が生産現場を担当、秀典氏が営業と商品開発、対外的な交渉など経営面を担当するようになっていった。

しかしながら、こんにゃくは売り込むのがなかなか難しい商品である。原料は主に乾燥した芋の粉で、これを水で溶き、水酸化カルシウムを加えることによって固めて作る。その工程はどのメーカーでも大きな違いはないため、各社が微妙な風味の差でせめぎ合う世界だ。味を主に左右するのは原材料比率とph値で、このバランスが悪いと食感がボソボソになったり、風味が消えて早く傷んだりしてしまう。このため古野社長は最適な原材料比率とph値を徹底的に研究。苦労の末に美味しさと風味を保ったまま、十分に日持ちする数値を見つけ出した。さらに毎日定期的に抜き取り検査を行うことでこの数値を維持。バラツキがなく安定した品質を実現して『古野食品さんのは美味しくて不良が出ない』という評価を得るようになる。こうして営業と品質両面の努力が実を結び、得意先が広がり始めたことで自信も高まっていった。

就業して約15年の間に工場増築や移転、新築、法人化などを次々に果たし、経営は軌道に乗ってきたが、古野社長にはまだまだ危機感があった。こんにゃく業界全体の消費額が緩やかに下降し続けていたからだ。

)につづく

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